トルコで、全員が同じ場所で道を渡った話
桑の実のこと
イズミルから鈍行列車とバスを乗り継いで、北にあるまち・ベルガマ。「街」より「町」という表現がぴったりくるような、郊外の小さいまちだ。
私たちが降りたバスターミナル、という名の質素な駐車場は、この路線の終点だった。たくさんの遺跡が集まる市街地までの交通手段は、ドルムシュ(町バス)か、徒歩で25分。5月中旬、まだ涼しかったのもあって、私たちも含めた乗客・総勢10人ほどは、同じ方向へ歩きだした。
片側一車線の車道と、両側に1mずつくらいの歩道。ごく一般的な、いなかのメインの通りだ。交通量もそれなりにある。
最初は全員が、バス停があった右側の歩道を歩いていた。しばらく進むと、十メートルくらい先を歩いていた他の全員が、一斉に左側の歩道に向かって車道を渡りだした。
こんなに全員が行くんだから、たぶんこの先はあっち側のほうが都合が良いんだろうな、と思い、私たちも渡ることにした。
すると突然、渡った先にあった大きな街路樹に全員が群がって、木になっている実をむさぼり始めた。思わず私と息子は、えー!と声を上げてしまった。
あきらかに「全員が知り合い」というのではなかったから、彼らは日常的に実を取って食べているのだ。自宅や知り合いの庭ではない、車通りの多いメイン道にある街路樹から。こういう光景をいままで見たことは、少なくとも私にはなかった。
桑の木だった。赤かった実が、ちょうど美味しそうなベリー色に熟していた。老若男女問わず全員があたりまえのように食べ続けるので、おもしろくなり私たちも近寄ってみた。
近くにいた、私と同じ年ごろくらいの女性が、息子に桑の実を取ってくれた。息子は私の顔を覗き込んだ。「いただいていいよ」と言った。女性は私にも二粒採ってくれた。
私たちは採ってもらった分だけ頂いて、女性にお礼を言い、街へ向かって歩き出した。しばらく歩いて振り返ると、他の10人はまだまだ絶賛食事中だった。
ここは、いい意味で「きれいすぎない」。
私がそれぞれ1か月滞在させてもらったイスタンブールとイズミルは、トルコの主要都市といわれる。旅先では散歩ばかりしている私は、有名観光地には行かずとも、裏路地を含めかなりの道を歩いてきた。
ここでは、どこまで行っても日本の銀座みたいに、隅から隅まで手入れされた場所は一か所も見当たっていない。
一個人の観測だが、5軒に1軒は廃墟。同じビル内で、正常に機能している階と廃墟の階が混在していることもある。数日に1回、とつぜん断水したりもする。
一方で、断水の情報は(断水になった後に)ちゃんとエリアの水道局のホームページに「何時まで断水です」と情報が掲載される。しかも、たとえば12時23分まで、のように、分単位で出してくる。
これが本当に途上の地域であれば、「ここでは断水は日常茶飯事だからね」となり、確認のしようがないこともあるだろう。ここはこういうところは、ちゃんとしている。
上階の住人は、夜中1時に掃除機を掛ける。雨の日に何故か大声で歌う女性が隣に住んでいる。うっかりものの店主が客から受け取った金額が分からなくなっても、おつりをこちらの言い値できちんと返してくれる。
目が合うと自然に笑顔を交わしたり、挨拶したりする。トルコ語で「おはよう」は、「グナイドゥン」。グナイドゥンってグッドナイトみたいだな、と思ったので覚えやすく、便利に使っている。
いい感じにゆるくて、いい感じに人間らしくて、ほどほどにちゃんとしている。
ベルガマでは、まちの中心で息子が別の桑の木を見つけた。「やっぱり美味しい!」今度はふたりで、食事を再開。






