なんてことのない街の読み方
トルコの海の街より
11年前、イズミルに来た。私は「一度でいいから、ゆっくりここで過ごしてみたい」と思っていたが、当時一緒に来た元夫に今回の旅程を伝えたところ、「イズミルに1か月もいて、なんかやることあります?w」と言われた。 同じ景色を見て真逆の印象を持っていたというのだから、さもありなんという感じだ。
イズミル。確かに観光地として名前が挙がることは少ないかもしれない。世界遺産のエフェソスやベルガマへ行くための「拠点」として扱われることが多い街だ。
それでも私は、11年後にまたここへ来た。今度は1か月いるつもりで。
最初の1週間は、行動範囲が1キロ圏内だった。フリーランスの仕事が大量に舞い降りたおかげで、外出といえばアパートからコルドン(遊歩道)沿いを往復する散歩くらいのものだった。
毎日同じ道を歩いていると、だんだん気になることが増えてくる。
なぜこの通りは、廃墟の向かいに風格ある古い建物があるのか。なぜイスラム圏のはずなのに、教会がモスクより多いのか。なぜ深夜までバーが営業しており、多数の現地民がずんちゃかミュージックに合わせて踊っているのか。
私はワイン党なのに、ムスリム圏では22時以降お酒を提供しないと聞いて、イスタンブールでは郷に従って、おとなしくしていたのだ。
(写真:メイハーネ=トルコ語で居酒屋。軒下に両側からせり出す、メイハネ達)
イスタンブールからは、飛行機で1時間の距離。ここは何が違うのだろう。調べてみると、全部「1922年」につながっていた。
トルコ独立戦争が終わったこの年、イズミルで大火事があった。街のほとんどが焼け野原になり、ユダヤ人地区とムスリム地区だけが残った。
私が毎日歩いていたアルサンジャクの通りは、その火事を生き延びた側だ。だから古い建物がある。廃墟の向かいに風格ある建物があるのも、焼け残りと焼け後の建物が隣り合っているからだ。
かつてこの地区には、ギリシャ人・アルメニア人・ユダヤ人・レバント人(南欧系キリスト教徒)が混在して住んでいた。教会があるのはそのためだ。
1922年に住民が大きく入れ替わっても、街の気風は残った。だから今も、ムスリムが多い街でありながら、夜中まで酒を飲む文化がある。
同じ道を毎日歩かなければ、気づかなかったと思う。
「何もない」と言われた街を楽しむ方法は、ガイドブックを読むことでも、フォトジェニックなスポットを探すことでもなかった。同じ道を歩いて、おかしいと思ったことを調べる。それだけで、街が何十年もかけて積み上げてきたものが、少しずつ見えてくる。
なんてことのない道が、100年前の話をしていた。





